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ややまるの豆記録物語
ややまるの豆記録物語

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日々の記録やメモ

No.60, No.59, No.58, No.57, No.56, No.55, No.547件]

この絵はわたしの最近頭にいた概念である。

言語化が苦手で日々鍛えているところだが、流暢に言葉として出ないことを悩むのではなく、わたしができる表現をしても良いと思った。

本日はわたしの頭にある概念を描き出してみることにした。

アニメイラストも好きだが、こういう概念的抽象画なら秒で出力できる。

言葉にできないから鍛えることも大切だが、ずっと言葉を使い続ける必要はないと思った。
20260407232453-yayamaru.jpeg

うっすらと思っていた自分の言語化スピードの遅さ。

変な話をするが、わたしは昔から音や図で自分の気持ちや感情を表現しろと言われたら秒でできる自信がある。

今の気持ちはこの色だとか、この音楽が合うなとか。
こういう景色の中でいたいという妄想の情景を高低差や時間まで指定して想像、創造できる。

だが、これを言葉にしなさいと言った途端に自分の浮かんだ情景を出力するのにものすごく時間がかかる。

読書感想文は地獄だった。
400字も書けなかった。
読書感想画だったらよかったのにと何度も思った。

じゃあテストは?と思うが、記号や図式をテキストに組み込んだ瞬間、図として認識できるので図式を読む作業になるので理解できた。

だが、その作業に時間がかかるので結果時間がかかる。

こんな感じで明確に言葉にできないことで揶揄われてきたし、なんならいじめにまで進んだ。

そんな自分は異常なんだと苦しんだ。

でもそもそも言葉で考える人とビジュアルで考える人がいるということを知って過去のわたしは救われた。

そんなわたしを救ってくれた動画と思考カラーというコンテンツを共有したい。

動画
https://youtu.be/TQGekCftU1A?si=S6pVTIUE...

思考カラー
https://sites.google.com/view/shikoushok...

生きる上で文章を書くことは必要だから力をつけて方が、それでも拙い言葉になっているし、わたしの頭の中の情報の1割しか載せることしかできない。

でもこれがわたしの思考なのだ。
わたしはこの生き方でいいのだ。

20260406142519-yayamaru.jpeg

「ついでに◯◯しよう。」

この言葉はどうにも悪い意味で目立ってしまう機会が多い。

だが、少なくともわたしにとってはこの「ついで」がずっと活動を支えてきた。

パソコンつけたついでにブログを書くか。

起きたついでにゴミ捨てに行くか。

手帳に描いたついでに勉強するか。

ついでにやるという気楽さに救われている。

最近手帳にやったことログとして記録するようになった。

これもついででやるようになったことのひとつである。

記録を見ると、わたしが思っているよりいろんなことを考えていたり、動いていたりしたことに驚く。

要らぬ責任や重圧を勝手に積み上げて完璧主義に自分を追いやっていき、動けなくなってしまう。

そういうきらいがあるわたしは、「ついで」が持つの気軽さでいいバランスを取れることを最近気がついた。

時と場合によるので、ついでに何かをしようと口に出すのはしないでいる。

でも、動くのが億劫だと思ったら頭のなかで「ついでにやろう」を言いまくっている。

君もついでに世界を救っちゃえばいいじゃないか。

最近漢字を思い出せない時がある。

書かなくなるとわからなくなるものだが、昔のわたしはきっとこれを嘆くと思う。

昔、漢字が大好きで父に漢字博士と言われるほどのどっぷり具合。

その気持ちを思い出し、久しぶりに漢字辞典を買った。

漢字の成り立ちであったり部首に触れて幼い自分の記憶を追体験したいと思う。

体調は万全ではないが、仕事できるまで回復した。

最近ハマっているイタリア語の発音練習が面白い。

アルファベットも21字で表すらしい。

この少なさでどうするんだって思うが、聞けば聞くほど馴染みのある単語が心地よく感じる。

とくに日本にない発音は独特な口の使い方をするので面白い。

英語の勉強の息抜きで始めたが、ちょっとずつ足が沼に入っていく感じがする。​